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埼玉県熊谷市

埼玉県熊谷市 1998年3月8日





埼玉県熊谷市 1998年3月15日





三味線栗毛(しゃみせんくりげ)

五代目三遊亭圓生

続き

 お篤かごの裡うちで洩れ聞いた殿様が、これは良い事を聞いた、米が両に五斗五升で、町人は余程楽と見えるな――殿中へお出でになると、それぞれお詰所に御大名がおります。
〇「これはお早い御登城」
△「イヤ大きに遅刻いたした」
○「市中の様子は如何いかがでござるな」
△「されば、町人はこの頃ズント暮らし宜ようござるな」
○「左様か」
△「今日の米の相場は両に五斗五升だそうで」
○「是は恐れ入ったな。米が両に五斗五升…。その両というは何両で」
△「ウム…百両…」
 ここらが御大名の了簡で…。中にまたどうかすると恐ろしく下情かじょうに通じた殿様が出来あがる事もあります。何時いつ自分か年代も分りませんが、酒井雅楽頭さかいうたのかみという御大名の若殿、角太郎かくたろう様、これは間に姫様を挟んでお三人目で…ところがどういうものか、大殿とお気質が合いません。最もお部屋腹ではありますが、大殿は前ぜん申し上げたような御大名風で、その頃は万事寛裕おっとりとした御気性だが、若様は至って闊達の御気風、ソコで巣鴨鶏声ヶ窪けいせいがくぼの御下屋敷の方へ遣られ、お賄まかないは僅か五十石で、用人の清水吉兵衛という人が忠義者で、よくお守もりをして、成るたけ入費の掛からぬようにいたし、御徒然おとぜんの時には盛り場所へ御案内をする。その頃盛り場といえば観物みせものや何かあって、最も賑やかなのが両国、或いは芝の久保町くぼちょう、下谷したやの山下、神田の筋違いの八辻ヶ原やつじがはら、浅草観音の境内、これは今日も誠に賑やかでございますが、そんな所へ御案内をしてお気を慰さめ、夜に入りますと御学問をお仕込み申し上げる。お賄まかないが少ないから吉兵衛夫婦が手内職をして、そのお鳥目ちょうもくをつぎ込むというようにしております。若様は至って御壮健で、お一人で日々活発に遊んでお在いでなさるが、何どうかすると、吉兵衛が内職にでも気を取られているうちに見えなくなる事がある。驚いて彼方此方あっちこっちと尋ねております所へブラリお帰りになります。
吉「お帰り遊ばせ」
若「今戻った」
吉「若様お一人でお出掛けになりましたか」
若「ウム一人で参った」
吉「御大身ごたいしんの若君が軽々しく御外出遊ばし、万一御上屋敷へ知れますると、吉兵衛が役目の落度に相成ります。以後は左様軽々しき事は遊ばしませんように」
若「イヤ吉兵衛、免ゆるせ、大方其方そちが小言をいうだろうと思ったが、しかし吉兵衛、偶たまには一人で歩いて見んと分らんから、ソッと其方そちに知れぬように参ったが、以後は謹つつしむから免ゆるせ」
吉「恐れ入りました。シテ何方どちらへお出でになりました」
若「両国へ参った」
吉「やはり向こう両国へ」
若「向こう両国、何か知らぬが両国へ参った」
吉「アノ長い橋をお渡りになりましたか」
若「渡った/\」
吉「何を御覧遊ばしました」
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